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008 株式会社稲川素子事務所

“外国人紹介なら稲川さん”と唯一無二の存在感を放ち続ける
「株式会社稲川素子事務所」グローバル化の進展とともに外国人紹介業をスタート
“active & patient”で30年を超える道のりを歩んできた

オフィスの表札は、稲川さんがお好きだという“薔薇”のモチーフでかわいらしく彩られています

事務所探訪第8回は、「株式会社稲川素子事務所」です。もともと芸能界とは無縁の専業主婦だった稲川素子さんが、昭和60年、50歳のときに設立しました。active(積極性)とpatient(辛抱強さ)を武器に、得意の語学力を生かして外国人紹介の仕事を開拓し、「外国人タレントといえば稲川素子事務所」と呼ばれるまでに知名度を確立。今や142ヵ国約5000人(平成28年4月現在)の外国人が登録する大所帯となった同事務所は、映画・ドラマの外国人役、討論番組や情報番組の外国人論客など、制作現場に欠かせない存在となっています。現在は日本人タレントにも力を入れており、さらに多様なニーズに対応できる事務所へと進化し続けています。

今回は、代表の稲川素子さんにお話をうかがいました。

■ 背中を押されて出発した「稲川素子事務所」

代表の稲川素子さん。所属タレントのお父さんがプレゼントしてくれたという手作りのアクセサリーは大のお気に入り

20代から40代まではサラリーマンの家内として、芸能の仕事とはまったく関係のない世界におりましたが、ピアニストの娘に「ドラマのコンサートシーンで弾いてほしい」という出演依頼が来たんです。ロケ場所について行き、娘が舞台でショパンを弾いている間、監督の近くにおりましたら、「次の映画に出すフランス人を探しているが、なかなか見つからない」という話が聞こえてきました。とても困っていらっしゃる様子だったので、「フランス人の友達がいるので、私がご紹介します」とつい言ってしまったんです。でも、家に帰って電話をしてみたら、すでに帰国してしまっていました。そこでもし、「お役に立てず、すみません」とお断りしていれば、今の私も会社もなかったのでしょうね。せっかく期待してくださっているのに、申し訳ないでしょう。試しに東京日仏学院(現:アンスティチュ・フランセ東京)に電話をかけてみたんです。「どなたかフランス語のできる中年の男性はいらっしゃいますか」と聞いてみたら、「今、すごくいい方がフランスから見えているんですよ」と。文化庁の派遣でお芝居を教えに来ていらっしゃった、元俳優の演出家の方でした。その方のもとに飛んで行って、下手なフランス語で一生懸命、頼み込んだんです。私の想いが届いたのか出てくださって、それがあまりにも素晴らしい演技だったものですから、「稲川さんに頼めば、いい外国人を紹介してもらえるよ」という評判が立って、あちこちから依頼が来るようになりました。

六本木に建つ洋風の本社オフィス。屋根裏部屋を駆け出しのタレントに提供していたこともありました

会社設立にあたっては、自分では考えてもいないことでしたから悩みました。紹介した外国人がTBSドラマの大役を射止めたのを機に、プロデューサーから「法人にしてください」と勧められたんです。いろんな方に相談しましたが、最後に背中を押してくれたのは、俳優の大林丈史さん(一般社団法人 日本映画俳優協会の理事長も務める)でした。大林さんにゴーサインをいただいたことでようやく決心がついたんです。昭和60年のことでした。そのときから30年を超え、命を張って仕事をしてまいりました。「稲川素子事務所」と自分の名前を張っている以上、無責任なことはできませんから。

■ 辛抱強く、地道に築いてきたブランド力

スタッフが働く六本木事務所入口。門扉には薔薇のレリーフがあしらわれています

最初はビジネスとして成り立たない仕事もありましたが、それを辛抱強く、一つひとつ、こなしていくうちに、次第に普通の仕事をいただけるようになっていきました。あるドラマの仕事で、台本の英語の台詞を翻訳したり、俳優に指導したり、ロケで使う撮影不可の場所の許可を取り付けたり、もちろん外国人を出演させたりして奮闘したけれど、試写室で流れるクレジットの中に「事務所の名前がない!」と気づいて、泣きながら廊下に逃げ出したこともありました。でも、“辛抱は甘い実のなる木”ですね。その後のある仕事で、外国人の出演シーンがカットになったとき、それでも事務所のクレジットはぜひ入れさせてほしいと言われたことがありました。「作品のステータスが上がるから」と。以前はどんなにがんばっても入れてもらえなかったのになぁと、しみじみ感謝したのを覚えています。

■ テレビ局や制作会社の皆様への感謝の気持ちを忘れずに

制作会社のイーストさん(株式会社イースト・エンタテインメント)には、私が仕事を始めたばかりのころからお世話になっていて、平成9年の番組開始以来『奇跡体験!アンビリバボー』の再現ドラマの外国人役は、すべて所属タレントが演じています。角井英之社長は稲川素子事務所にとっては神様のような方です。イーストさんが社員旅行に行かれるとき、「旅行先で流したいから」と、必ずここにビデオメッセージを撮りにこられるんですよ。そのときはいつも、「角井さんは神様です。アンビリバボーで食べさせていただいている稲川素子事務所です!」とメッセージを送っていますが、本心そう思っています。

これほど長くお仕事を任せてくださっているところがあるというのは、本当にありがたいこと。ですから、現場でのあいさつに関しては、社員やタレントに厳しく徹底させています。とくに、「お疲れさま」という言葉には気をつけるように言っています。タモリさんもテレビ番組でおっしゃっていましたが、「お疲れさま」は目上の者が目下の者の労をねぎらう言葉ですから、お仕事をくださっている方に対して使うのは失礼にあたります。そこは「ありがとうございました。お世話になりました」と言って帰るのが普通でしょう。フランスでは、目上の方に対して「お疲れさま」などと言おうものなら、侮辱されていると思われても仕方がないそうですよ。

■ 社員は“ファミリー”のように大切な存在

事務所オフィス内に飾られているのは、稲川さんの亡きご主人・長康さんのお写真。生前、タレントや社員たちから“パパさん”と慕われていたといいます

設立したばかりの頃は、私と娘の二人で仕事をこなし、当時85歳だった義母が電話番をしておりました。

当時はとにかく人手が足りず、請求書も書けない状態でした。テレビ局や制作会社から請求書を請求されるというありさまで、ときには経理の方が「もう締めなければいけないので請求書をいただきにあがりました」と、わざわざいらしてくださったこともありました。主人が定年後は金庫番として経理の仕事を手伝ってくれましたから、助かりました。

現在は、スタッフが5名、秘書が1名、経理が1名おります。ファーストネームで呼び合う仲で、外国人スタッフはみんな私を“素子さん”と呼んでいます。みんな家族のような存在です。私は本当に幸せ者ですよ。彼らがいるから、私は文化事業やら学業やら、本業以外のことばかりやっていられるんです。

パキスタン出身のスタッフ、シェリアール・カーンさん。映画やドラマにも出演しています

タレントとスタッフを兼務している者もいます。イベント部長をしている“玄ちゃん”もその一人です。彼は、私が主人の転勤について九州の社宅にいた頃、近所に住んでいた少年で、彼が小学生のときに勉強を教えていたんです。上京後、東映のヒーローショーに出演し始めて、今でも現役のスーツアクターとしてバク転を続けています。ですから土日になると事務所にはいないときもあります。

彼は駆け出し時代、私の家の屋根裏部屋に10年以上住んでいたんです。以前勤めてくれていたインド出身のマンジョット・ベディー(現在はクリエイティブディレクターとして世界を飛び回っている)と一緒に屋根裏部屋に住んでいました。玄ちゃんとマンジョットの二人には食と住を提供し、出演の仕事をメインに、空いている時間は事務所の手伝いをしてもらっていました。マンジョットは今でも、私の誕生日には必ず電話をくれるんですよ。

■ 名優たちとの親交に支えられて

“玄ちゃん”こと、江口玄友さん。イベント部長としての仕事のかたわら、ご自身もスーツアクターとしてヒーローショーに出演しています

会社設立前、玄ちゃんの出演している東映のヒーローショーを手伝っていたとき、唐沢寿明さんに出会ったんです。当時、玄ちゃんと一緒にスーツアクターをされていたんですよ。スターになった今も、現場で会うと声をかけてくれます。「僕、玄ちゃんのところによく泊まったよね。そのとき稲川さんが『唐沢さん、外国人の会社をやれと言われているんだけど、どうしよう?』などと、相談に乗ったよね」と。いまだに覚えてくれているんですよ。少しも威張らない素晴らしい人柄ですね。娘が当時から「(スーツアクターの中で)スターになれるのは唐沢さんしかいないよね」とずっと言っていたんです。「だから私の目に狂いはなかったでしょう」と自慢していますよ。

水谷豊さんとは、私が仕事を始めたばかりの頃に出会いました。ある現場で水谷さんにお会いしたところ、「僕は(稲川さんに)20代から世話になってねぇ」と言ってくださり、娘の演奏会にもお出ましくださったり本当にありがたく、光栄に思っています。

長く皆様に可愛がっていただいて、本当に幸せです。西田敏行さんには、平成2年のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』でうちの外国人タレントが共演させていただいたときにもお世話になりました。

■ 所属タレントからスターを! 目標はデーブ・スペクターさん

タレントは国籍、年齢、肌の色、宗教にかかわらず募集。登録は事務所の1階で受け付け、登録用紙の記入、写真撮影を行っています

外国人タレントから、デーブ・スペクターさんのようなスターが出てくれたらと思っています。売り出そうと思っているのは、カンボジア出身のプロゴルファー、チャン・リナです。性格がとってもいいんですよ。それから、ウズベキスタン出身のアノーラ。彼女はもともと歌手なのですが、テレビドラマやバラエティ番組にも出て活躍の場を広げています。そして、娘の友人のお子さんのリュック望月です。

うちで日本人俳優としてがんばってきてくれた三国一夫は今、桂由美さんがプロデュースされている、宗教を介さない「シビルウェディング」の司式者をしています。「声は通るし、演技はできるし、もう最高!」と、桂さんに気に入っていただけているようです。三国には、“朝ドラ”にもう一度出てもらえたらと。大学生のころに主演した『走らんか!』に続いてね、今度は『歩まんか!』なんてどうでしょう(笑)。やはり、こういう仕事は派手なように見えて実は地味な仕事ですから、最も大切なのはpatient(辛抱強さ)。一歩を踏み出して、辛抱強く道を切り開いていってほしいです。それから、アパホテル社長の元谷芙美子さんから今度、岡田有記さんという俳優志望の方を預かることになったんです。今後はこの二人の日本人タレントのマネージメントをがんばりたいと思います。

応募の際に提出してもらう登録用紙は英語版と日本語版を用意
膨大な登録用紙はファイルに整理し、男女別・年齢順に並べています

■ 外国人に“伝統的な日本人の精神”を伝える使命

所属タレントの帰国予定はホワイトボードにまとめて情報共有しています

国際化が進み、多文化がどんどん混ざり合っていく中で、日本の文化もだんだん変わってくるでしょう。その中で、日本のよさだけは外国人に伝えていかなければと思っています。

外国人は自分の思っていることをはっきり言います。映画『男はつらいよ 寅次郎春の夢』にもアメリカ人が登場するのですが、「アメリカ人は、I love youと口に出して好意を伝える」という話を聞いて、寅さんがつぶやくんです。「へえ、外国人って不器用なんだなぁ」と。こんなふうに、口に出さずともわかり合える、というのが日本人なんですね。

また、外国人はよく「日本人はすみませんと謝ってばかりいる」と批判しますが、日本人の「すみません」は世界に誇る“事態処理の名人芸”ですよ。謝るときはもちろん、物をいただくときや、お願いするときにも使える、本当にいい言葉です。そういう日本人の伝統的な精神を外国人に伝えていくことが私の使命なんです。

外国人にもそういう日本のよさはちゃんと伝わっていて、先日もこんな話をしていました。「お店に傘を忘れて取りに戻ったら、従業員が『気がつかず、すみません』と謝ってくれたのには驚いた。明らかに客のほうが悪いのに」と。「そういう日本人が好きになって、自分の国には帰りたくなくなった」とも言っていましたよ。

■ 去る者は追わず、来る者は拒まず

自分の主張を優先することの多い外国人と一緒に仕事をしてきて、ショックを受けたことは幾度もありました。この間も、「現場でスタッフにきつく当たられた、もう行きたくない」と言うんです。「どうしてそんなことを言うの!」と。自分が悪いのに、スタッフの方に責任転嫁するとは主客転倒もはなはだしい。そういうことがしょっちゅうですから、何が起こっても、それに巻き込まれず自分を静かに保つことを大切にしています。

また、外国人は、会社に対する帰属意識が日本人ほど強くありません。条件がよければよそへ移ってしまいます。そういうときは、辞めたのでなく、卒業したのだと思ってあげる。すると、しばらくして「やってみたけどうまくいかなかった」と舞い戻ってくることもあります。そのときは社員に反対されても、受け入れるようにしています。「それはそれとして、話し合いましょう」と。この“それはそれとして”という言葉は、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生からうかがったんです。過去にこだわると、そこから一向に進みません。来るべき未来をよりよくするために、彼らの“長所”だけを見ることを自分の長所とするように心がけています。

■ 実体験を生かして取り組む外国人の労働問題

実は私、この春まで大学院生だったんです。社員が育ってきて、いろいろ任せられるようになったので、65歳で一念発起して慶応義塾大学に再入学し、卒業後は3度の挑戦の末、東京大学大学院に合格しました。それから8年の大学院生活を経て、今春卒業しました。博士論文は、外国人タレントの登録に必要な興行ビザを入国管理局で取得する際の実体験からくる問題意識を生かして、入管政策と外国人の労働の現状をテーマに書きました。

本当は、大学でドイツ文学を専攻していたので大学院でも続けたかったのですが、先生に相談したら、「5000人の外国人を抱えていて、今さらゲーテでもないでしょう。外国人の労働問題をやりなさい」と。正直、「そんな逃げ出したいくらい大変なものをなんで勉強しなきゃいけないの?」と思いましたよ(笑)。この研究もきっと、私に課せられた使命のひとつだったのでしょうね。

株式会社稲川素子事務所 ホームページ http://www.inagawamotoko.com/

 

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